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2011年8月14日 (日)

レガソフ

結局、福島は教訓を与えてくれるだろうか?- 原子力災害を生き延び、勇敢な原子力作業従事者の犠牲を偲ぶ

しかし、いやしくも、住民の健康を守るためにきびしく決められたはずの許容線量が、その時の事情によってこれほど大幅に変えられてよいのだろうか。実際、この時ソ連が被曝許容線量を変えた一番の動機は、なんとかキエフ市民の疎開をさせずに済ませる説得材料として、「客観的正当性を持ちたい」ということだったのは間違いない。

中略

 住民保護の対策を決める際の客観的な目安となるはずの被曝許容線量が、国の都合で勝手に変えられる。その動機としては、まずむやみに人の移動を認めて、パニックに導かないという政治上の大方針があった。そして同時に、被曝許容線量を引き上げることで人の移動をさせない背景には、経済的要因も絡んでいた。放射線医学の権威、イリインはこう語っている。

 「わが国にかぎらず、日本でもイギリスでも、アメリカでも、非常事態が起こったら、普段のレベルよりも高い基準が導入されるようになっています。これは仕方ないことだと思います。たとえば、キエフ市民三百万人が本当に疎開するとなったらどれだけの社会的費用がかかることでしょう。もちろん被曝による健康上のリスクは生じますが、それと、この社会的費用とを秤にかけて考えなければならないのです」

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