おはなしを聴く

2010年10月 2日 (土)

ハーバード熱血教室

山椒さんのブログでも、仔犬の散歩跡さんちでも取り上げられてたサンデル教授の熱血教室。動画があったので、どんなんだろ?と視聴。なるほど、と思う部分もあり、考えてしまう部分もあった。特に原爆投下についてのインタビューの箇所はテレビ的なモノというか、もしくはサンデル教授の「原爆投下についての認識」が本当に話したことだとすれば、あくまで個人的な感想だがその考え方は「私はちがう」と感じた。ただ、放送されたインタビューの最後あたりの
「国や社会の自信というものは経済だけで築き上げているわけではありません。」という意見は、自分もぼんやりしたそういう考え方を持っていると思う。なので、なるほどなぁと思う部分もあった。

山椒さんとこ
ハーバード大 サンデル教授の熱血教室in Japan

仔犬の散歩跡さんとこ
ハーバード白熱教室 in Japan

2本目の動画のテキスト起こしです↓

―今、正義について議論する理由はなんですか。

――私たち人間が互いを尊重しあいながら生きてゆく為には、正義は不可欠なのです。道徳的に正しい生き方とは何か。今、世の中には相反する意見があふれています。そのため私たちの生活をまとめるための原理・原則を見出すことが重要になっています。その原則が正義なのです。

―個人の権利や自由ばかりを優先するのではなく、道徳的に正しい生き方を重視されています。なぜですか。

――権利や自由はとても重要です。しかし道徳的に正しい生き方とはなにか社会全体の状況を議論しなければ、どの権利がもっとも重要なのか定義づけることができません。これは政治哲学の大きなテーマなのです。政治の世界においても、この問題は避けて通れません。道徳的に何が正しいのかを無視すれば社会はとても貧弱なものになってしまいます。健全な民主主義社会には道徳的観点に立った積極的な議論が求められます。

―しかし、それは理想主義では

――ええ、確かにある意味、理想主義的だと思います。しかし理想主義こそ民主主義の根本なのです。民主主義の国の多くは、その理想に答えることが出来ていません。民主主義と道徳的に正しい生き方が重要だと捉えるのであれば、一定の理想主義は必要です。そしてよりよい世界を熱望するレベルの高い政治も必要となります。これこそが哲学が貢献できる場なのです。哲学とは単に哲学者のものだけではありません。社会の在り方を考えるための大事な道具なのです。

―道徳的に正しいこととは何か、その議論を聞いて疑問を持ちました。広島への原爆投下の問題です。あなた自身は原爆投下についてどう思いますか。

――これは20世紀の歴史の中で、もっとも悲惨な出来事のひとつだと思いますが、原爆の投下が正当化されるかどうかは難しい問題ですね。しかし今年、アメリカの駐日大使が初めて広島の平和記念式典に出席したことは非常によいことだと思います。オバマ大統領が将来広島に訪問する可能性を示しました。本当にその意志があるのなら、それは原爆投下に対する嫌悪感を感じていることであり、和解に向けての第一歩だといえます。日本側にとっては原爆投下をまねいてしまった責任を認識をするチャンスでもあります。過去の出来事であっても、責任は私たち全員にあります。公平な解決策は互いに謝罪をし和解に向けた対話を進めることです。

―しかし原爆投下そのものは正当化されますか。

――それは難しい質問ですね。私は明確で決定的な答えを持っていません。原爆の投下は不当な行為です。それによって日本は本土決戦をまぬがれ日米双方で多くの命が救われたといいます。日本とアメリカがまずすべきことは、歴史の責任をきちんと認識することです。そして相互に謝罪し和解することが重要だと思います。

―日本は先行き不透明で自信を失っています。日本人が自信を持つためのアドバイスをお願いします。

――日本は世界第二位の経済大国から三位に転落しました。それは重要なことではありません。重要なのは人生を生きる価値のあるものにすることです。市民が幸せであること、民主主義が健全であること、そして社会が健全であることが大切です。アメリカを含む他の国々も同様ですが日本にとって今がよりよい政治を見出すチャンスかもしれません。活発で健全な民主主義を構築すれば自信を取り戻すことが出来ると思います。国や社会の自信というものは経済だけで築き上げているわけではありません。自分と異なる意見に耳を傾け、重要な問題を公の場で議論できること。これこそが国や人々に自信をもたせる大事な要素なのです。

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2009年10月19日 (月)

くりごはん、おかわり。

くりごはんのおかわりのページに、
10月10日と11日に北山耕平さんのお話を聴きに行ったメモ
追加しました。

◎2009年10月10日(土)大中遺跡公園内
『地球に生きる人』
◎10月11日(日)神戸・六甲「風の家」
『テックヮ・イカチに学ぶ~第3回 子育てと教育を語りあう』

走り書きを箇条書きにしただけなので、
読みづらいかもですが、自分なりに読み返しても、
大事なことばがたくさん詰まってるように思っているので、
お時間ある方は、是非読んでみてください。

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2009年10月11日 (日)

加古川、六甲。

10月10日(土)加古川

大中遺跡公園にて北山耕平氏口演
『地球に生きる人』を聴きに行く。
公園の施設には、↓こんな建物もありました。

結構オモロイ場所でした(^^)再訪価値◎

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兵庫県立考古博物館
所在地:兵庫県加古郡播磨町大中
発注者・事業者:兵庫県
設計者:昭和設計
施工者:竹中・みらい建設工業・ノバック・神鋼興産建設JV
竣工時期:2007年3月
オープン時期:2007年10月
主用途:文化施設
階数および主構造:地下1階・地上2階、RC・S造
延べ面積:8367m²

10月11日(日)
神戸・六甲「風の家」にて北山耕平氏口演
『テックヮ・イカチに学ぶ~第3回 子育てと教育を語りあう』

1011_1
「風の家」は平屋建てで壁面の窓は三方向あって、本当に「風の家」でした。

1011_2

昨日も今日も、本当に天気がよくて、
今日の空は、なんや忙しいそうでした。

北山さんやゲストスピーカーさんのお話のメモを、
またくりごはんの方にメモしようかなと思います。

本当に、からだの芯に残る大切な大切なお話だったと思います。

帰宅して、母ちゃんと姉ちゃんにちょこっと報告しました。

ステキな二日間でした。奇跡的。

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2008年11月29日 (土)

2006年「こども大変時代フォーラム」講演

2006年3月に聴きに行った「こども大変時代フォーラム」という講演の、メモ書きです。

これも元のHPから一部修正したものを載せます。

ほんとに2006年は、何がそうさせたのかわからないけど、メモってないことも入れて、

あれやこれやと考えさせられる年だったみたいです。

自分で自分の当時のメモを読み返しても、そうかぁ・・と思い出させる「何か」があります。

長いですけど、ちらっとでも「言葉」をひろってみてもらえたらな・・と思います。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

↓ここからメモ

第9回『こども大変時代フォーラム~考える脳 感じる心~』
3月19日(日) リサイタルホール
主催:産経新聞社/関西2100委員会

2006/03/21 (火) 作成

わが家は、サンケイ新聞を取っている。

たまたま、なんかないかぁ~?、と夕飯を食べながら新聞を読んでいると、
『こども大変時代フォーラム~考える脳 感じる心~』
というタイトルと、茂木健一郎、という文字が目に入った。

お、これは無料参加型の講演会ではないか!
応募応募~、と抽選で外れてもダメでもともと、とりあえずポストへ投函。

ダメもととはいえ、願わくば「当たった」方がいいので、葉書の片隅に、
「家庭もちでも、子供がいるわけでもないが、
一人のおとなとして、この講演を是非聞きたいと思い、応募しました」と書き添える。

ほんとのことだから、書いたほうがいい、、かな(笑

で、後日参加証が送られて来たのだが、
後で知ると、応募多数で抽選だったそうだ。当たってよかったなぁ。

当日、会場は満席で年配の方が非常に多かったが、
家族連れや(オチビちゃんも結構いた)、学生風と全体的には幅広い年齢層であった。

以下、講演中のメモをメモりなおしたものです。
途中、自分のことばとか入って、読みづらいと思いますが、
興味のある方は、どうぞ読んでみてください。

部分、部分に、ヒントみたいな?なんていうかな、光?みたいな
感じがあるような気がするんだけど・・私のメモなので、拙くて申し訳ないです。

機会があれば、ライブでもっとたくさんのひとが
聞けたらいいなと思う話でした。

『こども大変時代フォーラム~考える脳 感じる心~』
3月19日(日) リサイタルホール
主催:産経新聞社/関西2100委員会

冒頭の挨拶で「大変」というのは、大きく変わるという
意味も込めて、こども大変時代というタイトルをつけた、とのこと。

◎脳と心
正高 信男先生 基調講演30分弱
(京都大学霊長類研究所教授)

正高先生がリサイタルホールに訪れるのは1973年以来なので実に33年ぶり。
私は1954年生まれですので、「テレビっ子世代」なのです。
子供の時ちょうどテレビが入ってきた頃で、まさにテレビで育った。

その前の世代はというと「ラジオ世代」というのでしょうか。
テレビ世代というのは、政治について興味があまり沸かない。

討論や議論、「口角泡を飛ばして議論する」なんてことに習慣がない。
全ては映像である、という受身で見ている人間。

嫌ならチャンネルを回せばよい、スイッチ切ればよい、
という嫌だからといって、なんでやとはならない。

何も変わらない、というのがテレビ世代ではないだろうか。
それから次が、ゲーム世代になるのでは・・。

以前は、自分の「周囲」というのは限られた範囲であって、
近所のおっちゃんやおばちゃんが居たり、商店街の店の人が居たり、
限られていたが「輪郭」があった。

現在は、「対人関係が無限に広がってきた」テレビ、インターネット。

広がったと同時に、薄くなってきたともいえる。輪郭がない。

周りから注目されることで、報酬として脳が喜ぶ。
ハタから返って来るものを、自分が把握する。

このようなことが、出来にくい。(今は・・?)

正高先生の話は、テンポよくて、ご自身の研究の話とかでなく、
今講演のとっかかりみたいなもんですとのことで、
WBCやってる中、わざわざ来てもらって・・笑
など、終始笑いが起こる30分だった。

ネット世代?を、対人関係が希薄とくくってしまうのは
(くくってはいないと思うが)、多分「言われがち」なことだと思うんだけど、
でも誰かに「よかったね!」とか、「すごいやん!」とか、
「大丈夫だよ~」とか、面と向かって言われたり、
言う側になったとき、文字だけの画面とは、
また違う感情が脳ミソに起こっている気がしなくも無いし。

輪郭がない、というのを自分なりに捉えたら、
「顔が無い」みたいな感じかもしれないなぁ。

◎こどもの遊びと創造性
茂木健一郎先生 特別講演50分
(ソニーコンピューターサイエンス研究所シニアリサーチャー)

クオリア=質感
まさに、「対人関係が無限に広がってきた」希薄になる。

昆虫採集というのは、感情のジェットコースターであり、
喜びもあれば、恐怖があったり、驚きがあったりする。
扁桃体が鍛えられる。辛抱つよい、とか。

『科学する心は他人の心を思いやる心に似ている』
相手の立場にたって、想像する。

他人の心がわかるのは、人間だけか。コンピュータに出来ないもの。

計算や記憶することはコンピュータは得意であるが、
「創造」することはできない。新しいものは発見することができない。
人間らしい能力。『創造性とコミュニケーション』

子供は周囲から聞くことばや、見ることにより、
それが『エピソード記憶』となる。それはやがて『意味記憶』となる。

このエピソード記憶は無限に積み重なる。
体験が重要なのである。この体験が側頭葉にたくわえられ、
前頭葉で働く・・ドーパミン

子供に意味をいきなり教えなくてもいい。
体験をさせることにより、子供は勝手に意味をつくるものだ。

『創造することは思い出すことに似ている』=体験の豊かさ

Feeling of knowing 『創造性=体験×意欲』

こういうものが、欲しい!という強い意欲があって、新しいものが生まれてくる。

年を重ねると、意欲が薄れるというが、
お年寄りには「体験」が豊富なわけで、そこに意欲が
合されば、こんな最強なものはない!?(会場爆笑であった・・!)

意欲は美しい。にんげんは、意欲がつくっている。

意欲の作り方とは・・?他人との関係性

ドーパミン=嬉しいときに出る

子供にとって、何がドーパミンを出させるのか。
自分にとって何が快楽を与えるのか。
数学者は数式を何時間もとくことが快楽であったりする。

目をあわすことはドーパミンを出す。
アイコンタクト=にんげんが出来ること。

子供は無力な存在。心理的に他の人がいないと生きてゆけない。

大人が安全基地になる。探求のための安全基地。
過干渉でなく過保護でない。「べき」論は、よくないのだ。
子供にイニシアチブがある、自発性がある。

子供が知りたがっているときが、千載一遇のチャンス。

※ドラゴン桜の竹岡先生は、生徒から質問され
手元にあるものでわからないときは、その場で家まで
戻って参考書を取りにゆき、質問に答え教える。
そこまでする理由は「生徒が質問したときが千載一遇のチャンスだから」
と、これ覚えろ、あれ覚えろと言っても覚えるものでない。
聞いてきたときが、ここぞというとき。

ゲームがダメとは思わない。
ただ、ゲームにはない要素がある。自分でルールを作ること。

例えば透明ランナーがいたり、スペースがないから三角ベースにしたり、
こいついつもヨワイから、仕方ないなカウントなしで、とか。

多様性=いろんなものに出会う。

『みんな違って、みんないい』

ケンモギ氏は、早口であった・・
パワーポイントか、何かわからなかったけど
映像と共に、クルクルと回転よく話されるので、
皆も、食い入るような感じだったと思う。

予定していた内容を全てクリア出来なかったみたいだったけど、
50分の時間としては、とても濃密な時間だった。

『創造することは思い出すことに似ている』
これは、茂木先生のことばでなく、引用文であったはずだが、
確か、本でも読んだことばなんだけど(茂木先生の本で)
実際、あの場で聞くと、自分がまだまだ
「いけてなくはないぞ!」と思えてきたし、ただただ、
なんだか「嬉しい」気持ちになった。

見ただけとか、行っただけとか、そういうことになりがちで、
なかなかアウトプットできない、モヤモヤ感が蓄積されて、

すごく、実は、本当に苦しい・・。

でも、どんなものも、何も無駄でもなく、
私の脳ミソの中に、かすかであっても、
いつかのドーパミン?のために、眠ってくれてるかもしれないのだ。

脳の学術的なことなんか、ちっともわからないけど、

遺伝子とか環境とか、いろんなものから、
「わたし」というものが形成されているとしても、
「おまえはこうだから、こう生きなきゃいけない」とは「知ったこっちゃない」のである(笑)

それにしても、早口だった・・・(笑)

◎ヒトの脳はいかに人の脳となるのか
瀬川 昌也先生 講演40分
(瀬川小児神経学クリニック院長)

こちらの講演、非常に「医学的」で(ご本人もそういいながら講演していました)
専門用語?がたくさん出てきて、なかなか最初わかりづらく、
少々、船を漕いでしまった・・スイマセン!

睡眠というものが、4歳ぐらいまでのあいだの
こどもにとって非常に脳に影響があるということなど、
たくさんのデータでもって解説。

歩行するより前の「ハイハイ」ができるできないというのも、
睡眠が大きく影響されている。前頭葉の発達、ドーパミン!に関係している。

こどもにとって、親が「太陽の光」である。

私の後ろの席の人など、「なるほど~」とか
「ほほー」とか、かなり頷いて講演を聞いておられたのだが、
映像で出されたデータが、クロウト向けのほんまに、
まんまデータで、??何のグラフ??って感じだったりして、
少々わかりづらかった。少し知識のある人なんかは、
すいっと入り込む内容だったかと思う。

わかる範囲で感じたことは、眠るという行為が、
時間によっても大きく脳の発達に作用し、
おとなの習慣がこどもに、きちんと影響を与えるんだってこと。

逆に、24時間でなく48時間に合う体質のひともいるらしく、
一概に、決め付けるものではないとのこと。

ただ、おとなとして、こどもにどんな面であれ、
影響をあたえないはずなし!という気持ちは強くなった。

かといって、よい大人になろうとは思ってないし、
いやいや、全然違うし・・!

私は早起き体質なのだが、完全に子供の頃の影響だな(笑)
大工だったの父ちゃんの影響です。

◎ことばによらない母子とのコミュニケーション
篠原 一之先生 講演40分
(長崎大学大学院教授)

赤ちゃんのとき
匂い 音声 接触 表情 温度 
この非言語的コミュニケーションが、大切ではないか。

実際の研究例などをあげる。

生後一日目の母子の接触は大事である。
おなかにのせると、吸い寄せられるように
おっぱいに辿り着き、お乳を飲み始める。

音楽は、ジャンルというよりも「ビート」に反応する。

生後まもない頃に「痛さ」を和らげる効果を発揮するのは、
自分の母親の母乳の匂いが一番効果があるとのこと。
他人の母や、粉ミルクでは、「痛さ」を和らげる効果が薄い。

お乳が出ない場合は、汗でも効果があるとのこと。

赤ちゃんは、母親の「喜ぶ」「怒る」「悲しむ」など
ちゃんと、目や鼻口元などを見ている。変化がある箇所をちゃんと見ている。

最後の講演とあって、かなり自分も疲れてしまい、
メモを取る量も、ガクンと落ちてしまった。

ただ、「母子」という間にこどもがおとなに成長してゆく過程として、
とても重要なことが、こんなに詰まってるんやなぁという気持ちを持ったことと、
でも、しかし、終わりの質疑中にもあったが、

「だからといって、それが絶対ともいえない」といこと。

何らかの理由で、母乳をあげられない親子もいるだろうし、
どうしても、どうしても産後すぐ働かなくちゃいけない場合も、
いろんなことがあるわけで。

それのせいで、ということはないんだということ。

茂木先生の言った、
「おまえはこうだから、こう生きなくちゃいけないとか
知ったこっちゃない」に、
うんうん知ったこっちゃないよなぁ!と、思えた。

にんげんの脳の可能性は、無限であり絶対こうだ、とかないんだ。

私は、今、遺伝的とか血の繋がりとか、業(ゴウ)とか、
すごく、敏感になってて、でも、だからといって、私はわたしであり、
私の脳の側頭葉にたくわえられたイロイロは、

今までのあっちやこっち、それなに?
そこは、どんなん?の、ハテナマークと、知りたい意欲の
カタマリがあって、いつかのドーパミン?に
願わくば、繋がってほしいなぁ、なんて

そんなことを考えた。

願わくば、こういう講演とか、もっと何かと絡めて
いろんなひとの耳に届くといいなぁとか、それも強く思った。

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2008年11月27日 (木)

2006年養老孟司氏 講演

私の2006年は、なんだかあちこちに「おはなし」を聴きに行った年だったと思います。

その中で、解剖学者の養老孟司氏の講演を聴きに行ったメモを元のHPから

一部修正して、載せておこうと思います。

読み返すと、あれから2年経ったけど

今の「世界状況」に通じるなぁなんて感じてしまいますね・・

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

ここからメモ↓

『ヒトと建築にかかわる壁』
養老孟司氏 講演
9月30日(土) 朝日生命会館  主催:(社)日本建築家協会/近畿支部

2006/10/08 (日)作成

随分前、テレビで
虫のことをえらい楽しそうに話すオジサンだなぁ、
なんだろこの人と思っていた。

その人物は、解剖学者の養老孟司という人だと後で知った。

もちろん大ベストセラーの『バカの壁』も読んだし、
他の著作もあれこれ読んでみたりもしたが、
養老氏の私の中のイメージは解剖学者や、「作家」でもなく、
「虫のことを嬉しげに話す白髪のオジサン」だ。

ある日、何気に展覧会や、講演会の検索をしていたら、
(私は、建築関連のこういうイベントが好きなので、たまに
検索して時間と場所が合えば参加したりするわけです・・)

建築家協会主催の養老氏の講演があるとのことで、
これは貴重かも?と、早々に申し込んでみた。

以下は、当日メモしたものを清書し、
所々、自分の気持ちなどを書き足したものです。

ほんとに、メモを書き写しただけなので、
文の繋がりもないようなわかりづらい箇所が多々ありますが、
よかったら読んでみてください。

ここからメモ↓

・我々は生物の構造を考える
・建築家は、建築の構造を考える

歩き回りながら話す養老氏

大学の教授であるので、「黒板がないと落ち着きませんねぇ」とポツリ。
しばらくすると、袖からホワイトボードが・・場内、笑。

「カタチを読む」という本を数十年前に書いたときに、
「バカの壁」ということばは使っていたのだが、
学生を教えていると、バカの壁を思わずにはいられないのとのこと。

12月に大阪で甲虫学会があり、そこで話す内容とのことで、
われわれは生き物を解体することをしますが、
(養老氏は、ご存知のとおり解剖学者である)
ヒトの関節はつるつるしている。

虫をばらすと、虫の関節というものは、非常に凸凹である。
受け側は網目のようである。
虫の関節は、時計の歯車のように出来ている。

虫の動きというのはカチカチカチと非常にデジタルなのだが、
とてもスムーズに動いているかのように見える。
(なぜか?というのを話されてたように思うが、記憶してない)

そんな凸凹しているから、磨り減って寿命が短い、というわけだ。
(ヒトの関節が、同じようにデコボコしていたら、
こんなに長くは生きていられないし、なにより動きが、ヘンテコリンだろう。
ちなみに、この講演の前に整形外科でレントゲンをとったもらった
私は、医者から肩の関節はとても丸くきれいですよ、と言われた。
非常に、感慨深い・・・)

つまり(ヒトの関節はつるつるで、虫の関節が凸凹ということは)、
実際見てみないとわからないものだ。

・機械論?
ヒトの骨の構造というのは、建築の構造と似ている。
スイスのチューリッヒのマイヤーという橋の設計をしている教授が、
ヒトの大腿骨の断面を見て、オレがやっている仕事と同じじゃないか!?
と、驚いたそうだ。

大腿骨の断面は、骨量が見えるのだが、
骨量の走り方が物理的に?応力線に沿っているんだとか?

片持梁、最小限の材で、最大限の力を出すための構造。
大腿骨の構造。力学的に決まっていることだ。

・目的論?
・歴史的説明
・発生的説明?
・情報的?(デザイン性)
→カブトムシの角は、なぜあるのか?

ダーウィンは「メスの好み」と言う。しかしこれは科学的ではない・・
角はデモンストレーションであって、なくてもいいもの。
事実、メスにはない。
ハンディキャップの原理 メスは丈夫で元気なオスがいい。
「こんな無駄なもの(角)つけてるけど、すごい元気だぞ!」という
アピール・・・?という原理。

利他行動とは?自分が生き残ることを考えると利他行動は損か得か。

大阪と東京の建築物は違う。
大阪はどうして、アレコレ付いてるんだろう?ヘンテコでゴテゴテで。
(確かに、通天閣・大阪ドーム・HEPナビオ・海遊館・・派手ちゃ派手か)

開発とは、なんだ。あるものを壊す。
相手は何もやっていないのに、やっているのは私だ→何だ?
『意識がやっている』
オレがやっていることは、オレの脳ミソがやっている。

色即是空

『意識とはなんだ?』
難しいことではない、自分の方にあって、相手にない。

意識がないと、建築はできない。
意識的に造っている、無意識ではない。

1日のうち、1/3は意識がない(眠っている)

何で眠るのか?
起きているとき・寝ているとき→脳の消費エネルギーはほぼ同じ。

意識活動=秩序活動
意識がある限り、デタラメはできない。

秩序活動をした分だけ、無秩序活動がある。

例えば
自分の部屋の床を掃除機で掃除する。
→自分の部屋の床の秩序が高くなった→掃除機の中は満杯・・
→掃除機のゴミを捨てる→高分子をばらまく→温暖化

秩序をたてると、無秩序が発生する。

エネルギーもないのに秩序を保とうとすると・・(と、ある国のような状態)

石油のこと。

日本の将来は石油が切れたとき明るいのだ。(??)

水資源はどうなるか。中国の水資源の問題。
アラブ・パレスチナ問題。ヨルダンのヨルダン河。パキスタンのインダス河。

ルールというものを、先を考えて作っているのか・・
マッチポンプ、システムをまわす為のシステム。

意識→秩序活動
現代社会は、秩序つくられゆがみ、行き過ぎている
脳化社会

脳は、感覚(入力)で入り、運動(出力)される。
感覚は、色
色即是空 外部の世界とは「色」=感覚

・石油というものから戦争が始まったのだ
ということや、

・水という資源が、アフガンやインド、パキスタン
そして中国に大きな影響を与えていること。

・意識とは秩序であり、秩序があれば無秩序が生まれる、
ということを何度も話されていた。

そして一番最後に発した言葉は、「クオリア」(感覚質)であった。(と、思う)
動物は感覚の世界である。
いま、この感覚が「悪くなってきた」(ヒトの社会)と、
最後のさいごに言って、終演の時間となった。

養老さんは、なんというかな、この講演で話している一切合切が、
「もうわかっていることで、口にするのももうめんどくさいなぁ」
というような境地に入ってる感じに見えた。

話の中で少し宗教的な話題になるのだが、
色即是空というくだりは、最近自分の耳に目に触れている気がするのは
私だけだろうか・・。マンダラに興味があったりするからかもしれない。

色即是空とは、

およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。
およそ実体がないということは、物質的現象なのである。

養老さんが言うに、ゼロではない「空(から)」である。

うーん、なるほど、そうかぁ!とは
なかなか思えないんだけども、それこそ感覚的に
なぜかそうかぁ、と思うのはなんだろう・・

自分は居て、おらず、しかし、ここに存在している。
居ているが、いないのだ、いや、いなくなるのだ、ということを
嘆くのでもないし、いまここにいるということを、猛烈に感じてみる。

アマノジャク少年のような(すいません、)養老氏の話は、
あっちこっち多彩で、聞くだけで必死であったが、
聞いてみないと、あ!と気付かないことばが、たくさんあったと思う。

ただ、建築というくくりで、講演タイトルを
つけなくっても全然よかったようにも思う。。

主催が建築家協会だからかもしれんが、正直どう建築分野と
引っ掛けてくる話題になるのか、終始前のめりで
聞いていて、お時間ですが・・となったときは、
ん、お、終わりなの・・?と、思ってしまった。

二部の方では、そういう話題だったはずだが、
ちょっと聞けなかったので、仕方ない。

ともあれ、色即是空・意識・秩序・無秩序
そしてクオリアというのが、
自分の中の鍵だったのかも・・と、振り返る。

私の意識の中、私の感じる感覚、

誰とも同じとは限らないし、

そして、同じでなくて全然構わないのだろう。

あ!!

『ヒトと建築にかかわる壁』

そか!!

創造力。

創造力。

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2006年大津絵のこと

2006年3月11日に滋賀県まで大津絵の絵師

高橋松山先生の話を聴きに行ったメモ書きです。(HPに書き込んでいたメモより)

今読み直しても、とても貴重な話を聴けたんだなと思えるので、

少し修正して載せたいと思います。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2006/03/12 (日) 作成

◎大津絵のこと

3月11日土曜日、ポカポカ陽気の中、大津まで
『大津絵の世界~教えと心~』という展覧会に行って来た。

この日は、大津絵師・大津市無形文化財である
四代目 高橋松山先生の講演もあり、せっかくだし聞きたいなぁと思って、
参加申込をしたら当選して、ま~でも、こういうのって出したら当たるのかね?
とか思っていた。

が!実際は、大入満員でホール内はぎゅうぎゅう詰めであった。
もしかしたらハズれたひともいたんじゃないのかな・・!?
当たったことはキセキ的なことだったのかも!
ともあれ、聞くことが出来て本当によかったなと、非常に印象深かった。

講演中、メモっていたものと、「自分の感覚」とを混ぜて、メモにしました。

(走り書きを直した感じなので、読みづらいと思います。ごめんなさい!)

ここから↓メモ

『大津絵の世界~教えと心~』

大津絵師・大津市無形文化財 四代目 高橋松山

25歳で高橋松山の四代目になる。

大津絵というのは、勝手きままに描いたりしてはいけないし、色彩も決まっている。
わがままに描いてはいけないもの。

若い頃は「大津絵を守っている」と思っていたのだが、
「大津絵に守られてるのだ」とようやっとわかった。

大津絵に義理を感じている。

今日の講演は、「描く側から感じたこと」などを話したい。

東京のギャラリーで、お婆ちゃんが大津絵の前に座り込み、何やら書いている。

えらく長いこと、そういう状態なので、
「何をされているのですか」と声をかけたところ、
大津絵の解説を書き写しているとのことだった。

「なぜ、そんなことを?」と聞いてみたら、
「心の滋養になるからだ」と答えられたそうだ。

「滋養」ということばを、久しぶりに聞いたことや
「大津絵」を見て、そういうことを感じてくれることが非常に嬉しかったとのこと。

また、ギャラリーに来たフランス人が、「やっと、日本に巡りあった」と
何度もギャラリーに足を運んでくれたことなどがあり、

絵が売れることよりも、こういう出来事で
もう100万ぐらい売れたような気分になる、と言って笑われた。

「滋養」は「からだの栄養となること」という意味で、
多分、現代っ子?ぽく言うと「心のビタミン」とかいう感じ?

解説をメモっていたお婆ちゃんが言う「心の滋養」という言葉には、
真実味があって、なんだか、今わたしたちが「心のビタミンになるんです」なんて
答えたりなんかしたら、うそくさくて、吐きそうな感じ。

そういうのって、きっと相手に伝わらないし、
お婆ちゃんと松山先生の間で生まれた
「ことばでない会話」には、全然程遠いものな気がした。

現代は、ことばが軽い。カスカスでないか。
などと、思う。もっと大事にしなくてはな、とか。

もう何十年も描き続けていても

「まだ、数が足りないのだ」
「講演してるまに一枚でも多く描いたほうがいい(笑)」
「形のあるもの、無限の繰り返し。反復が命である。」なんだそうだ。

なんだか、あたまをとんかちでエイヤーッと殴られた感覚であった。
自分に「できていない、やれていない」様々なことが
ぐあっと思い出されて、いたたまれない気持ちだった。

どれだけ描いても江戸時代の頃と、今とでは背景が違い過ぎる。

今は便利すぎるのだ。
墨をする時間に、あれこれと考える。そういう時間が大事。

代価を払わず報酬だけを気にする時代。

松山先生のことばが風刺みたいに聞こえて来る・・

「大津絵」も、絵の中にちゃんと意味合いがある。

猫とねずみが、酒を飲んでる絵があって、
猫は、ねずみにたくさん酒を飲ませたあと、
べろべろになったところを・・・という絵なんだけど、
逆の構図もあって(ねずみが猫に酒を飲ます)
それは、「酒でおのれを見失うな」ってことなんだそうだ。

我が父に貼り付けておきたい大津絵である。笑い話じゃないな!

こどもをばかにするには、言った通りにさせ欲しい物をを与えていればよい。

心は自在である。

なんでも、上にのぼっていけば、いつかは下がることもある。
でも、同じ道を下りていくわけではない。

「円」のふちを進んでいくと、てっぺんに立つころに「上手」になる。
そこで、下りて行くひともいるだろうし、「上手」でいいと思うひともいると思う。
(頂上で、満足ということなのかな?)

「名人」になるには、技術と、そこから「精神」や「悟り」を持つことではないだろうか。
(つまり、下りてゆく勇気ということなのかな?上にいれば
心地よいものだし、出来ればそこに居たいものかも。そういうことなのかな・・)

大津絵は伝承的なもの。コピーではない。

「似て非なるもの」

例えば100人のうち、99人はわからないとしても
1人には「わかる」ものである。

感情の老化。「心こそ 心惑わす 心なり」

大津絵に「鬼」がたくさん出てくるが自身は、「鬼様々」である。
鬼がいなかったら、私はいないだろう。

これが、「大津絵には義理がある」という気持ちに
繋がるのかもしれない。

鬼の角は、にんげんの我だ、と。

「体・相・用」とうことばがあるが、
体とは、にんげんの質量、何で出来ているか?ということだ。
壷でいうならば、土で出来ているのか?

相とは、見た目のこと。その壷は、丸いのか細長いのか?

用というのは、そのひとの働きのこと。
壷でいうなら、水を入れるのか保存するためのものか?

※「体・相・用」とは仏教用語で、
「体が来たっていなければ、相も用も未だ来っていない事になる。」
なかなか私にはスッと入ることばでないんだけど・・
なんとなく、伝わるものは、あるのはわかる。

『守・破・離』(シュハリ)という言葉があります。

似て非なるもの、に繋がるのかな・・「無限の繰り返し」に繋がるのかな・・

大黒様は、小槌と袋と俵を取ってしまったらただのおっさんになる。(笑)
自身も、紙と絵筆と絵の具を取ったら、ただのじいさんなのだ。

にんげんそれぞれ、とってはいけない何かがあると思う。
死ぬ際まで、絵を描いていたいのだ。

途中、北斎のことや、芭蕉の蝉の句も話されていたが、
正直、盛りだくさん過ぎて、覚えてない・・!

私の横に座っていた女性は、一心不乱に
ほぼ一言一句「メモ」っていた。

多分、それぐらい引き込まれるひとには、
心のヒダヒダの部分に、すぅーと入って来るお話だったと思う。

自分も、時折、顔がゆるむ感じで、楽しくも聞けたし、
そうかーと腕組む感じもあって、90分はアッと間だった。

確かに、松山先生の言う「講演する間に絵を描いたほうがいい」
なんてことばは、本心かもしれんし、
大津絵を描くことが、自分のすること、「用」ということなのかも。

自分の「用」とは、未だに唸る感じで
ちゃんと言葉にできるものはないんだけど・・。

おおお、メモっていったらなんとなく、「何を考えた」のか
わかってきたかも・・・スゴイ!

ともあれ、たまたま、たまたま・・(笑)
京都駅で「大津絵の世界」のポスターを見て、

たまたま、た~また~ま(笑)それが「鬼」だったから。
わたしは「オニ」が好きなのだ。

「えー、なになになに!!??鬼チャンどうしたの??」と
気になっただけで、大津までひとり遠征したんだけど、
たまたま、は、やはり、ただただ、すごいなぁと思ったのであった。

私の中に「感覚」がなくなったら、
いまだに巡り合えてないものばかり・・、かもなぁと身震いする。

にんげんには、触覚がちゃんとあるんちゃうかなぁと。
そう、角もあるんです!(笑

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京阪浜大津駅前 大津絵の藤娘
この絵は「良縁をよぶ」んだそうです。

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高橋松山先生の大津絵の店

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