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2011年1月 9日 (日)

死霊の世界(1)

ナレーションテキスト

長編小説『死霊』は悪徳政治家を父に持つ4人の兄弟の物語である。兄「三輪高志」と弟「三輪与志」は正妻の子だが、首猛夫と矢場徹吾はの二人は父がそれぞれ別の愛人に産ませた子供という設定である。4人はそれぞれに19世紀末のイギリス詩人スウィンバーンの詩にあるsad悲哀・bad悪・glad喜び・mad狂気を体現している。それは埴谷氏がかつて豊多摩刑務所時代の独房の中で生み出した4つの思考のプロトタイプであり、観念としての埴谷氏の分身である。この四人の兄弟が1人1人内面を吐露する時が、長編小説の『死霊』の最大の山場となる。

埴谷氏インタビューテキスト

構成っていうものを考えてですね、この自分としては組立てやすいようなことに組み立てるわけですよね。ドストエフスキーもそうですけど、必ず主人公もいれば主人公の裏のような主人公のような副主人公がいましてですね、ラスコーリニコフの(向こうに?)ズビドリガイロフって人がいましてですよ、この人はまぁ、ズビドリガイロフは幽霊を見れる人なんですね。つまり影の存在で、ラスコーリニコフが生存在なら、負存在なんですよね、ズビドリガイロフは。というふうに作家はですね、対象的なものを自分の中で、頭の中にしといた方が物語を深めたり、発展するのにしやすいわけですよ。僕自身は・・の中で考えたらどうしても、ある観念とある観念をですね、ごちゃごちゃに一緒にいれながらもそれをはっきり目立たすためには人間に分けておくという方が、分けやすいわけですね。

だから非常に、この現実に近いですね、存在の革命じゃなくて社会革命に近い方は「首猛夫」に持って来て、存在の革命はほんとうの方へ、後の三人を持って来ると、三人の補助をする黒川建吉なんていう補助者が出てくる。この『罪と罰』でいえばラズミーヒン、ラスコーリニコフの親友がありましてですね、ラスコーリニノフの妹と一緒に結婚する役割になっているけど、あるものの対立者とあるものの補助者も必要なんですよ。そうしないとですね、奥行きってものが、論文じゃないんだから、何か言って思索(?)がですね、それだけで通らないんですよ。その裏もしめしてみたり、横から補助して支えてやらないとひとつの思想は論文じゃないんだから、僕はもうさっき言ったように、表からも裏からも下から眺められても、平気だというふうにならないと文学は文学で成り得ないんですよ。ドストエフスキーは非常によく示してくれているわけだからね、まぁ僕は偶然読んだのは、ドストエフスキーを読んだってことがですね、そういう構成法にも影響してますね。

ナレーションテキスト

長編小説『死霊』は主人公の1人「三輪与志」がある精神病院を訪れるところから始まる。非現実の場所がこの作品の出発点である。

「最近の記録には嘗て存在しなかったといわれるほどの激しい、不気味な暑気がつづき、そのため、自然的にも社会的にも不吉な事件が相次いで起った或る夏も終りの或る雲った、蒸暑い日の午前、××風癲病院の古風な正門を、一人の痩せぎすな長身の青年が通り過ぎた。
 青年は、広い柱廊風な玄関の敷石を昇りかけて、ふと立ち止まった。人影もなく静謐な寂寥たる構内へ澄んだ響きをたてて、高い塔の頂上にある古風な大時計が時を打ちはじめた。青年は凝っと塔を眺めあげた。その大時計はかなり風変りなものであった。石造の四角な枠に囲まれた大時計の文字盤には、ラテン数字なく、一種の絵模様が描かれていた。注意深く観察してみるならば、それは東洋に於ける優れた時の象徴―十二支の獣の形をとっていることが明らかになった。青年は暫くその異風な大時計を眺めたのち、玄関から廊下へすり抜けて行った。」

その時計は、時を打つ震動が微妙にぜんまいへ作用し、絶えざる重奏が行われるよう工夫がこらされていた。ねじをまかずとも永遠に動き続ける時計であった。


「開巻冒頭にこの世界にあり得ぬ永久運動の時計台を掲げたのは、nowhere,nobodyの場所から出発したかったためである」


事実、読者の眼前には小説内の時間や空間は実在感を持っては立ち現れず、作者自身が言うように、ほとんど曖昧化と神秘化のベールに閉ざされている。

「三輪与志」の高等学校の親友であり異母兄弟である矢場徹吾はある刑務所内で急に狂気の兆候を示し、今は重い失語症、埴谷氏の言葉では「黙狂(もっきょう)」となって、この病院に入院している。

担当医の「岸博士」と「三輪与志」の間で哲学的な内容が交わされる。

―おお、貴方は何を求められるんです。
―虚体です。
と、三輪与志は眼を伏せたまま、きっぱり云った。
―ふむ。それで・・貴方は、幽霊にでもなりたい―。いや、どうも風癲病院らしい変な話になってきましたなあ。―貴方自身、先程の質問に答えてくれませんか、人間はさて何をなし得るか―。
―人間が人間である自己証明でしょう。
―ふむ、的確です。で・・・どんなふうに証明するのです?
―人間ならずして創り出せぬものを創り出すことによって、です。
―おお、それが誤れる論法です。で、何を創り出すのです?
―それは、つまり―嘗てなかったもの、また、決してあり得ぬもの、です。

埴谷氏インタビューテキスト

1章のはじめにですね、三輪与志ってのがね、あなた何求めてんですかってね、岸博士にね「虚体です」って言うんですよ。虚体が死霊の主要出発点であり主要帰結なんですよ。虚体の実現のためにですね、この釈迦と大雄の最期はですね、虚体というものは、まあ実現するわけですよ。実現する虚体ってのには概念としてですね、今は出てますね。だからどういうものが虚体かっていうのは、まあいろいろこう三輪与志が問いただされて、まだはっきりしないで、ただずっと今言ってるわけですよ。けれども、それのですね、このいろいろ途中で明らかにするわけで、5章のですね夢魔の世界っていうのはですね、ある意味でいうと非常に離れたところでですね、この社会革命を目指した三輪高志という三輪与志のお兄さんがですね、目指した世界ですね。

完全な自由の世界というようなものを目指したんですね。そしたらその夢魔はですね、その肝心な自由の世界、おまえの世界に俺はいるんだといってね、それは来たわけですよ。これは夢魔はですね、あの非常に遠いところのいるけれど、この、おまえが考えた途端におまえの考えにのって来るから一瞬のうちに来ちゃうわけですよ。向こうからね。

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